東京高等裁判所 昭和26年(ネ)2139号 判決
被控訴人は控訴人に対し東京都大田区新井宿二丁目千六百四十六番地所在木造瓦葺二階建一棟建坪十四坪五合五勺二階八坪七合五勺を明渡し、かつ金三千九百七十七円五十銭及び昭和二十五年八月一日から右家屋明渡し済みにいたるまで一カ月金千二百三十七円の割合による金員を支払うべし。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
二、事 実
控訴代理人は原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し東京都大田区新井宿二丁目千六百四十六番地所在木造瓦葺二階建一棟建坪十四坪五合五勺二階八坪七合五勺を明渡し、かつ金九千五百六十二円及び昭和二十五年八月一日から右家屋明渡し済みにいたるまで一カ月金千二百三十七円の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は原判決に事実として記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。
<立証省略>
三、理 由
主文第二項に記載した家屋が控訴人の所有であつて、控訴人がこれを被控訴人に対し昭和九年十月賃料一カ月金四十三円、毎月末日払の約定で期間の定めなく賃貸し、被控訴人がこれに居住して今日にいたつていることは当事者間に争いがない。
控訴人は昭和二十年八月被控訴人に対し本件家屋賃貸借解約の申入をしたから、これによつて賃貸借はおそくも昭和二十一年二月末日限り終了したと主張する。
(一) 成立に争いのない甲第四、第五号証の記載に原審における証人桐淵達次、同寺沢佐太郎、同桜井淑雄、当審における証人杉俊彦、原審及び当審における証人早田嘉左衛門、同寺沢美寿の各証言をあわせ考えると、控訴人はもと東京都大田区新井宿二丁目千六百三十五番地所在の控訴人所有家屋に母美寿、妹美子、叔父(控訴人の亡父の弟)桐淵達次とともに居住していたところ、昭和二十年五月二十四日罹災したので(当時達次は出征中)、一時近所の谷方に避難し、その後間もなく同所千六百八十三番地所在の笠松要所有家屋を賃借してこれに引移つたが、笠松(同人は当時福島に疎開していた)からは約半年という約束で賃借し、ここに長くいるわけにいかなかつたので、同年八月控訴人の母美寿は控訴人を代理して被控訴人に対し本件家屋の明渡を請求したところ、被控訴人がこれに応じなかつたので、控訴人は訴外志保井某に賃貸していた同所千六百三十五番地所在の自己所有家屋の明渡を受け、昭和二十一年五月頃これに移転したこと、控訴人の父は医師をしていたが昭和六年頃控訴人が三歳のとき死亡したので、その後は父の遺産で建てた貸家九軒から上がる家賃によつて生活していたのであるが、戦災のため右貸家もその五軒が焼失したばかりでなく、戦後における社会経済事情の激変にともない控訴人家の生活は困難となり、控訴人自身は学生であり家賃以外に収入はなかつたので、これを切り抜けるため、親族とも相談の上、控訴人の叔父達次をして本件家屋において医院を開業せしめ、その収入によつて一家の生活を維持しようということになり(達次は控訴人が笠松所有の家屋に居住していた当時復員し、再び控訴人らと同居するようになり、当時医師として日本医療団中央病院に勤務していたが、薄給でそのままでは控訴人らの生活を支援する余裕がなかつた)、昭和二十二年二月頃以降早田嘉左衛門、桜井淑雄らをして被控訴人に対し本件家屋の明渡を交渉せしめたが、その効がなかつたので、さらに昭和二十五年四月被控訴人を相手方として品川簡易裁判所に明渡の調停を申立てたが、この調停も不調に終つたこと、その間控訴人は生活費、学費にあてるため控訴人居住の家屋(もと志保井に賃貸していた家屋)を金四十万円で他に売却し、その他本件家屋以外の貸家及び所有地をも処分し、昭和二十四年五月頃東京都品川区五反田六丁目百九十一番地寺沢佐太郎方を間借りし、母及び妹とともにこれに引移り達次は他に下宿するようになつたが、その後控訴人の母美寿は同年十一月右寺沢と婚姻し、控訴人及び妹は寺沢から面倒を見てもらうようになつたこと、寺沢はもと横浜正金銀行に勤務し、経理部長代理をしており、昭和二十二年六月同銀行が閉鎖機関に指定された後はその整理事務所に勤務し、月額約二万一千円の給料を得ていたが、その後右整理事務が終つたので再び前記銀行に勤務し給料月額約一万九千円(税込)を得ているが、その資産は建坪三十坪の右居住家屋一棟とその敷地約八十坪の外これというものはなく、現在六十四歳でしかも血圧が高く医師から注意を受けており、近頃は職をやめて郷里和歌山県に引きこもりたいとの希望をもらしていること、右寺沢方は階下六畳、四畳半、応接室、物置、二階八畳の間取りで、これに寺沢夫婦、控訴人及びその妹の四人が居住していること、控訴人は現在慶応義塾大学医学部第四学年在学中でその学資は月数千円を要し、しかも以前肺浸潤をしたことがあり、その父も肺結核のため死亡したものであつて、体に無理がきかず、アルバイトをしてまで学資を得るには困難であり、妹美子は昭和二十六年新制高等学校を卒業し現在ある銀行に勤めて月六千円の給料を得ているが、これによつてはもとより控訴人の学資や生活費を支弁するには足りないので、控訴人としては今もなお叔父達次をして本件家屋において医院を開業せしめ、控訴人も卒業の上はともにここで医業に従事し生活の本拠としようと計画していること(以上の事実のうち、控訴人が昭和二十年五月二十四日罹災したこと、控訴人がその後笠松所有家屋を賃借し、次いで志保井に賃貸していた家屋の明渡を受け昭和二十一年五月これに移転したこと、控訴人が昭和二十二年二月頃早田をして被控訴人に対し本件家屋の明渡を交渉させたこと、控訴人が昭和二十五年四月被控訴人を相手方として品川簡易裁判所に本件家屋明渡の調停を申立てたが不調に終つたことはいずれも当事者間に争いがない)を認めることができる。原審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分はこれを採用しない。
(二) 一方成立に争のない甲第三号証の一ないし三、同第四、第五号証の記載、原審における証人井上常子、当審における証人谷村伊右衛門の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果をあわせ考えると本件家屋は階下板張の玄関の間、応接間、四畳半、六畳、二階六畳二間で被控訴人はこれに夫婦と子供三人の五人で暮しているのであるが、被控訴人は青年時代肺結核にかかり、以来現在にいたるまで病弱のため職につかず、父からの仕送りによつて生活していたが、昭和二十五年七月父が死亡した後は、母の実家で相当の資産家である従兄谷村伊右衛門の扶助を受け、かたがた同人が東京都内に有する不動産の管理をして同人から月約八千円の仕送りを受けていること、被控訴人には所有家屋がなく、また移転先のあてもないままに今日迄控訴人の明渡の請求を拒んでいるものであることを認めることができる。
(三) 以上の事実によれば、控訴人は昭和二十年八月被控訴人に対し本件家屋賃貸借解約の申入をし、その後引続き本件家屋の明渡を請求しているものであるが、この申入の当時は控訴人は一時住居の不安があつたけれども、この不安は、被控訴人が本件家屋の明渡を拒んだためとはいえその後志保井に賃貸中の自己所有家屋に移転し得たことにより、一応解消したものと認めるべきであるから、必ずしも解約につき正当の事由があつたものとはいい難く、従つて右申入が直ちに効力を生じ控訴人主張の昭和二十一年二月末日限り賃貸借が終了したものとすることはできない。しかしながら、控訴人は終戦後収入のないままに一家の生活を維持し自己の学業を継続するため次々と財産を処分してこれにあてて来たのであり、母美寿が寺沢と婚姻してからは同人の許に身をよせているのであるが、右寺沢の収入資産の状態は必ずしも控訴人らの生活費学費を弁ずるに十分という程のものでないばかりでなく、同人との関係は要するに母美寿の夫というにとどまるのであつて、同人の年齢、健康状態及び老後の希望等を考えれば、右寺沢の生活自体も決して安定したものといい難く、控訴人が引続きその保護を期待し得ることは困難であつて、また妹美子の給料のごときは、同人が結婚前の若い女性であることにかんがみれば、控訴人らの生活費学費にほとんど加えるところがないことは明らかである。控訴人がこのような状態を脱するため、被控訴人から本件家屋の明渡を受けて叔父達次をしてこれに医院を開業せしめその収入によつて生活の扶助を受けるとともに、かたがた将来自分も医者としてともにここで医業に従事しようとするのは、たんにそうすることが好都合であるという以上に、そうしなければならないさしせまつた実情にあり、まことにやむを得ないところとしなければならない。これに対し被控訴人の側の事情は右(二)に認定したとおりであり、本件家屋は当初から貸家として建てられ、被控訴人はその建築当初からこれに賃借居住して来たもので、ただに愛着の深いものがあるばかりでなく、これがもつぱら家主の側における境遇の変化によつて明渡を求められるにいたることは、忍び難いことであろうが、この事情の変化はもとより今次戦争及びその後の事態のもたらしたものであつて、これを独り被控訴人のみ免れて従前と同様に住居を確保し得るとすることは公平の観念の容れるところではない。殊に一般の住宅事情は終戦直後の状態にくらべてだんだん改善されてきていることは明らかであつて、被控訴人がその移転先を見出すことは、被控訴人が、もし、熱心に努力するならば、必ずしも不可能ではないと解しなければならない。以上の次第によつて判断すれば、控訴人が当初から引続き維持する本件賃貸借解約の申入については、結局正当の事由があるものと認めるのを相当とする。しかしてこの状態は控訴人の母美寿が寺沢と婚姻した昭和二十四年十一月頃当時においてすでに成熟しているものと認めるべきものであつて、その後現在にいたるまでむしろその度を増しこそすれ決して緩和されてはいないものと認められるから、控訴人の本件賃貸借解約の申入は右昭和二十四年十一月頃にいたつて、解約につき必要な正当事由の要件をみたしたものというべきであり、本件賃貸借はおそくもその後六月を経た昭和二十五年五月末日限り終了したものと認めるのを相当とする。もつとも控訴人はこれ以前、(イ)昭和二十二年二月頃被控訴人との間に同年五月末日限り賃貸借を解約する旨の合意が成立したこと、また、(ロ)賃料の支払を一回でも怠つたときは当然契約解除になるとの約旨にもとずき昭和二十二年四月末日の終了とともに契約は解除となつたことを主張するけれども、これらの主張は解約申入にもとずく賃貸借の終了が是認されない場合の主張であるのみでなく、その主張の理由のないことは原判決の理由に示すとおりであるから、もとより右認定を妨げるものではない。
よつてさらに控訴人の金員支払の請求につき按ずるに、控訴人の請求は要するに賃貸借継続中は賃料、その終了後は損害金としてこれを求めるにあることは本件口頭弁論の全趣旨からうかがい得るところであつて、昭和二十二年三月末日迄の賃料を被控訴人が支払つたことは当事者間に争がなく、被控訴人が昭和二十二年十二月中控訴人に対し、同年四月分から十二月分迄の一カ月金四十三円の割合による賃料を弁済のため提供したところ、控訴人は賃貸借はすでに終了したこと及び賃料相当の損害金として受領するとしても同年九月一日から以後の分は物価庁告示の定める二・五倍の修正率を適用した額でなければ受領できないとの理由で、その受領を拒んだため、被控訴人が昭和二十三年三月三十一日一カ月金四十三円の割合による昭和二十二年四月分から昭和二十三年三月分までの賃料を弁済のため供託したことは控訴人の自認するところである。当時本件賃貸借はなお存続中であつたことは前示のとおりであるから控訴人としては賃料としてこれを受領すべきものであり、また控訴人が昭和二十二年十二月被控訴人に対し前示割合による値上の請求をしたことは原審における証人寺沢美寿の証言によつて認め得べく昭和二十二年九月一日物価庁告示第五四二号によつて同日から家賃の統制額は昭和十三年以前の建築にかかる家屋については従前の賃料の二・五倍となつたことは明らかであり、本件家屋が昭和十三年以前の建築にかかることは前認定の事実からおのずから明らかであるが右値上の請求は賃料についてのものと解すべきであつて、かつかかる請求がさかのぼつて効力を生ずべき理由はないから、右値上の請求は昭和二十三年一月から後の分についてその効力を生じたものと解すべきである。従つて被控訴人のした右弁済のための供託は、昭和二十二年十二月分迄について有効であつて、その後の分については約旨に従つたものでないから弁済としての効力を有しないものというべきである。その後右賃貸借終了の昭和二十五年五月末日迄被控訴人が賃料の支払をしたことはなんらその主張立証しないところであるから、被控訴人は控訴人に対し右期間(昭和二十三年一月から昭和二十五年五月まで)中の賃料一カ月金百七円五十銭(金四十三円の二・五倍)の割合による合計金三千百十七円五十銭を支払うべき義務があることは明らかである(もつともその間昭和二十三年十月九日物価庁告示第一〇一二号により同年十月十一日から家賃の統制額がさらに従前の賃料の二・五倍となり、さらに昭和二十四年六月一日物価庁告示第三六八号により同日から従前の賃料の一・六倍(旧停止統制額の一〇倍)となつたことは明らかであるが、控訴人が被控訴人に対しこれらの統制額の変更の限度まで賃料の値上の請求をしたことはこれを認めるべき証拠がないから、右統制額の変更にかかわらず賃料は一カ月金百七円五十銭のままと認めるべきものである)。
被控訴人が本件賃貸借の終了後もなおこれに居住してこれを控訴人に明渡さないことは前示のとおりであるから、これによつて控訴人は損害を被ることは自明であつて、被控訴人はこの損害を賠償すべき義務があるところ、その損害額は相当賃料額と認めるべき家賃の統制額と同額と解するのを相当とし、昭和二十五年六月一日から同年七月三十一日迄は前示告示によりその額は一カ月金四百三十円(合計金八百六十円)、同年八月一日から後は同年八月十五日物価庁告示第四七七号により一カ月金千二百四十八円八十四銭となる(この計算の基礎である本件家屋の賃貸価格が金三百五十二円で敷地は四十三坪一合九勺その賃貸価格が金一一二円二九銭であることは当事者間に争いなく、これによる純家賃額は右三五二円の二・九倍の一、〇二〇円八〇銭、地代相当額は坪当賃貸価格二円五九銭坪当地代五円二八銭全敷地につき二二八円〇四銭以上の合計一、二四八円八四銭)。
しからば被控訴人は控訴人に対し本件家屋を明渡し、かつ昭和二十三年一月一日から昭和二十五年五月末日迄の賃料及び同年六月一日から同年七月三十一日までの損害金合計三千九百七十七円五十銭並びに同年八月一日から右家屋明渡ずみにいたるまで一カ月金千二百四十八円四十八銭の内控訴人の請求する金千二百三十七円の割合による損害金を支払うべき義務があり、その余の部分については支払の義務がないことは明らかである。
よつて控訴人の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を理由のないものとして棄却すべきものであり、これと異なる原判決を右のように変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)